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Essey Non-Genre

『X目に僕の嫌いなところ』 – 2024/12/29

僕は資本に生かされているのが嫌いだ。
父親は某電力会社社員だ。玄海と川内を日常的に危険にさらして、庶民から電気代を巻き上げたうえで日々食っている。
その搾取の構造の中腹で暮らしているのがたまにつらくなる。

教会には様々な人が来る。重力の光なんかを見てもらえれば分かると思うが、元ヤクザ・元ホームレス・虐待被害者・難病患者などなど。
社会の歪みによって疎外(よそよそしさを強いられている)されている人々が来る。
彼ら彼女らと接していると自分の傲慢さに、自分の甘さに、自分の驕りに憤ることがよくある。

一度、自分の傲慢さに悲しくなった出来事がある。
虐待を受けて育ち、今なお、体にも心にも大きな傷を抱えながら生きている年上の女性の方と会話していた時のことだ。

僕「毎日風呂とか部屋で歌ってる」
彼女「隣からクレームくるやろ。一軒家なん?」
僕「・・・まあ」

僕は彼女の前で自分が一軒家に住んでいることに対し後ろめたさを持っていた。
もちろん、彼女も一軒家に住んでいる可能性もあった。
だけど、僕は偏見で”彼女は一軒家に住んでいない”・”彼女は僕の家みたいに温かく育てられたわけではない”という結論が先行し、答えにつまった。
僕の差別心の発露の瞬間であったと思う。


と、言うのも僕のやっている活動は金持ちの坊っちゃんの”趣味”でしかないのかもしれないと不安になる。
というか、講演会とか芝居を見るとか礼拝に行くとか、全部今日も明日も食べるのに困らない人がやることだ。(いや礼拝は違うかもだが、、、)

搾取の中腹であたかも善人のようにふるまっているのがものすごくイライラする。
なんでみんな他者のために動こうとしないのか。
環境の合う人同士で内輪のノリでお勉強したって社会良くなるの?世界は癒されるの?

結論はわからない。
もしかしたら、今やっている活動を続けていけば1万と2千年後ぐらいにはいい社会が来ているかもしれない。

わからない。
わかならないことが多すぎる。

2024/12/29 礼拝には行かない日曜の朝。