希望のまちについて思いのたけを綴りました。
ぜひ見てください。
2024/11/13 おなかのすいた昼下がり。
全国津々浦々のみなさん。
お久しぶりです。
最近は鬱で寝込んでました。
今期は面接授業を2科目ほど申請していたのですが、片方は抱樸のイベントと被り、もう片方は鬱で寝込んでました。
鬱とは、、、
「鬱」という言葉は、一般的に「うつ病」を指すことが多く、気分が落ち込み、意欲が低下し、日常生活に支障が出るような状態を指します。
Google Gemini に「鬱とはなんですか?」で聞いてみた結果
僕には気分にレベルがある気がする。
ここでは6段階にわけてみる。
ハイ |
躁 |
普通 |
センチ |
ブルー |
鬱 |
こんな具合ではないだろうか。
たまに夜寝ないと、絶好調にハイになって、余計なことを考えて大失敗する。夜は寝ることだね。
そういえば今、放送大学は通信指導の時期なのでそれもしないといけないんだよね~。
明日は勉強デーにしよう。
2024/11/13 親友の生配信を裏で聞きつつ。
今日は3週ぶりの読書会をした。
参加者は僕ともう1人だけ。2人だけだ。
僕が頼れる人。しかも対等に頼れる人は何人いるだろう。
数えるぐらいだな。
仲間は質だろうか、量だろうか。
うちの先生なら迷いなく量と答えるだろう。
「ちょい友を増やしな」
出会ったときそう言われたのを覚えている。
だからこれからもちょい仲間を増やしていきたいと思っている。
僕に興味がある人は遠慮なくContactから連絡してください。
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そろそろ、OthersのCommunityを整備しようと思う。
どちらも放送大学関係者限定にしようと思う。(とは言え放大の学生は全科だけでも6万人いる)
1つはすでにやっている読書会。
単発の文庫新書中心のゆるふわ読書会と単行本・学術書中心の輪読会の両輪で試してみようと思う。
もう1つは自主研究会をやろうと思う。
ズバリ、「放送大学教養研究学生会」。
ああ、なんかまた空中分解しそうな名前だな。
要は同好会で叶わなかった自主ゼミをやろうというやつだ。
前者も後者も詳細は、私のXとCommunityでお知らせするが、いち早く知りたい方はContactに連絡ください。
僕今多分、躁だ。深夜テンションで舞いがっているに違いない。
もう寝よう。
2024/10/06 ネムイ。
「現場の実践を常に神学的”抽象化”していくべきだ」(意訳)
僕は2つ目の高校をやめて間もないころに今の教会に通い始めた。
今、振り返るとまだまだ若かったなと思う。
今と変わったところと変わっていないところ両方あると思う。
変わっていないところは自己中なところと、壮大なことが好きなところかな。
変わったところは、無宗教の有神論じゃからキリスト教の有神論者に変わったところだと思う。
てか、毎週「お前が神様を殺しているんだ。だけどお前を愛しているんだ。」と言われたら嫌でも改宗しちゃう気がする。
僕の父は「お前は絶対に宗教にハマる」と言っていた。
予言というべきか預言というべきか。
僕は生きる目的を教える経典を読むようになったし、教えを共有する仲間も与えられた。
新たな出会いもたくさんもらったし、その人たちがくれた新たな視座も今はある。
冒頭の言葉は、その教会の先生が恩師からもらった言葉だ。
僕はこの言葉は妙に納得する。
今日(もう昨日だが)、有名なシンガーソングライターの方が教会に来た。
この方は歌手であると同時にハンセン病の音楽文化を研究されている方だ。
僕はこの二つの営為は何に立脚しているのかまた、どういう相互性があるのか。これが今回気になっていた。
今日の出会いと冒頭の言葉で少しわかった気がする。
あの方にとって、歌を歌うのは抽象化で研究は言葉化なのだと。
明日(今日)は特別礼拝。うちの先生がコンサートを受けてどんな話をするのか楽しみだ。お二人の対談もあるらしい。
僕は抽象化も言葉化もどっちもできる人間になりたいな。
やりたいことが多すぎて死ぬに死ねない。でも1割できればいい方。できれば3割。大谷選手の打率も3割。
希望を胸に今日も寝る。
2024/10/06 もう数時間したら太陽が昇る時間帯の深夜。
今日のToday’s reViewはFBのコピペです。
今日は午前中、家でパソコン、パチパチしてて、午後は夕方から教会に出かけました。
では、以下さっき投稿したFBのフィード。
2024/09/12 日付の変わった頃合いの深夜。
一億と八千万のThe WWVの読者のみなさま()
普通に忙しくしてました。
サーバー代を払っている以上、忙しくても続けるべきなんでしょうけどね。
前回のToday’s reViewからやったことは、Amzonアソシエイトに登録して小銭稼ぎを画策したり、
らじる☆らじるのラジオ英会話を毎日(大嘘)聞いたり、
habiticaというTodoアプリを活用(語弊あり)したりと、
いろいろ新しいことに挑戦していました。
また、懸念の読書会も無事、2回開催でき順調に進んでいます。
教会では今月後半から来月にかけて、イベントが目白押しなのでその準備にも追われています。
まあ、充実してますわ。
はい、寝ます。明日は祈祷会で私が発題なんで。
2024/09/10 汗のしみ込んだシャツを着てパソコンの前に座る夜。
台風10号がやっと、九州を横断し終えたらしい。
この間、ずっと体調が悪かった。読書会もまともに開けていない。
メンバーに申し訳ないなぁと思いながら横になっていた。
それぐらいだな。今週は台風のせいで特に外出もしていない。
書くことがない。
今日のToday’s reViewはこんなですみません。
2024/08/30 寝起きのだるさの残る夕刻。
今日は原爆の絵を描いているという高校生と出会った。
被爆者から証言を聞き、それを基に絵を描くという取り組みをしている。
そんな彼女らから今日は貴重すぎる話が聞けた。
どういう話を聞いたかは僕に直接聞いてもらうとして、やはり彼女らも出会いによってその道が与えられ、筆をとったことが分かった。
出会いによって過去の意味付けが変わっていく。
特にいい方向に行けば、それは希望になる。
今日の出会いによって僕はそう感じた。
原爆ドームにも立ち寄る時間があった。
10年ぶりに訪れる原爆ドームは、大きくなった僕にはすこし小さく見えた。
英語で外国人に証言をしている被爆者(surviverと書いてあったので)もいた。
お互いに一生懸命、語り、聞いている姿にも僕は希望を感じた。
みんなが、傷ついた人々に耳を傾ければ世界はやさしくなるはずだ。
前の記事で書きそびれたが昨日、平和記念資料館を離れるとき、しゃがんで話し込んでいる3-4歳ぐらいの男の子と両親らしき3人組がいた。
何を話していたかは知らない。だが、20分ぐらいは話していた様子だった。
ああいう、大切にされた経験が平和を創り出す原動力だと思う。
くどいかもだが、”愛された人は、愛する人になれる”
僕は何度も愚直にそう言い続ける。
いい旅だった。
2024/08/26 瞼が重い、旅で疲れた夜。
広島に来ている。ホテルでこの記事は書いている。
子ども劇場という団体の旅で来ている。
今日も出会いに満ちていた。感謝感激雨アラレ。
いや、2か月前に面接授業で広島に行ったじゃねぇか。
まあまあ。
朝は小倉駅まで車で送ってもらった。
集合時刻まで時間があったのでケンタでまっずいコーヒーをすすった。そもそもケンタでコーヒーを頼んだ私が間違えだった。
定刻となりバスに乗って出発した。
道中は普通の高速の道だった。
広島平和公園についた。
「過ちは繰り返しませぬから」の石碑も見て、原爆の子の像に祈り、平和記念資料館に向かった。
私が最初に広島の平和記念資料館に行ったのは確か、10歳の時だったと思う。11年前だ。その時はまだリニューアル前で、怖いと思ってしまう展示だった。
その後、様々な議論を経て今の展示になったと報道で聞いた。
「お化け屋敷にはしたくない」そうテレビの向こうでは被爆者は言っていた気がする。
さすがに前の展示内容は覚えていないが、今の展示は被爆者個人の”思い”に焦点を当てていたと思う。数字でもマクロ的視点でもなく人間>が<人間>に「原子力爆弾」という殺りく兵器を使った事実がそこには表現されていたと思う。
私はまごうことなき北九州市民だ。当然、北九州が長崎原爆の第一目標だったことも知っている。
今日はいかにして、広島と長崎に原爆が落とされたのかを確認できたものよかった。
原爆を落とした人たちが、人間をどうやったら多く殺せるかを計算して広島と小倉に落とそうとしたのかも確認出来て、人間の業と罪の深さをまた知った。
今回は初めて追悼平和祈念館にも行けた。
あ行だけでも液晶いっぱいに亡くなられた被爆者の方の遺影と名前が映し出されていた。これが事実なのだ。
核兵器はなにもかもを破壊する。
だから破壊されずに残ったものを私たちは大切にしなければならない。
「歴史の教訓を学ばない民族は、滅びの道を歩むしかない」-by 林えいだい
明日の出会いと学びに期待しつつ今日は寝るとする。
2024/08/25 日付をまたいだ深夜。
今日は「クリスチャンになる理由」を問われた。
僕は「義務感」と答えたが、数時間たった今「使命感」「召命感」みたいなものだった気がする。
ルカ福音書2章ではイエスの降誕の場面でイエスの福音は、”すべての民”に与えれれたものとされている。
だから、クリスチャンになろうがなるまいがイエスは必要だし、十字架は必要だし、贖いは必要だと思う。
だが、そうなるとバプテスマは必要ないのだろうか?
だが、バプテスマは決心だと思う。特に東八幡教会のバプテスマは世界の一番低みに身を置き続ける決心であると思う。
この上記のアンダーラインのところが重要で、もし世界中の人々がこうなったら多分戦争はなくなる。
そのために福音伝道が必要で、その自覚の一つの表し方がバプテスマなのだと思う。
答えは無いが。
そういえば、去年の夏も似たようなことを言われた。
「万民救済だったら教会いらないじゃん」
いやいや、万民救済に気づいていない人がいるから伝道する。そのための体として教会があるんでしょ。と、今なら返せる気がする。
くどいが「救わている真実に気づいた人は、救われている真実を伝える人になれる」
これが、僕の福音伝道の意義であると思う。
2024/08/18 日付をまたぐ50分前の夜。