カテゴリー
Essey Today's reView

『僕のする”べき”こと』Today’s reView– 2024/12/11

私は、自分のしていることが分かりません。自分が望むことを行わず、かえって憎んでいることをしているからです。

新約聖書 ローマ人への手紙7章15節 聖書協会共同訳

自分のすべきことがわからなさすぎる。
そりゃ、大学の勉強とか、TOEICの勉強とか、そもそも体力もないし、血液検査の数値もまずい。

毎回、内科に行くと「もうちょっと絞りましょうね」と、言われる。
自分のためにすべきことも分かっている。

母は同じ年代の方に比べたら元気ではない。私が免許を取れば、どこにでも連れて行ってあげられるのに今年も免許が取れなかった。

献金だって満足にできていない。昨日はモスバーガーに行ってしまった。とんでもない罪人だ。
なんでもいいから働くべきなんだろう。
他人のためにすべきこともたくさんある。

自分の自分嫌いが最近進んでいる。
なのに頑張れるのは周りの人が優しいからだ。


この記事は今日の9時のNHKのニュースを見て書こうと思った。
もっと言えば、今日の祈祷会で被団協のことについて言及があったからだ。

「北九州に住む人は、原爆の当事者だ」

1945年8月9日、長崎に落ちた原爆は北九州市(当時は小倉市か、、、)に落ちる予定だった。
ファーストターゲットは今私が住んでいる”まち”だったのだ。

私は北九州市民として、今の総理・衆参両議長に核兵器禁止条約の批准を求める請願署名を明日からでも駅前ですべきだと思った。
今日思ったすべきことの一つはそれだ。
核兵器をこの世界からなくすべき理由はこれまでの21年間で身にしみるほどわかった。

小学生3~6年間の8月9日は必ず長崎爆心地で迎えたし、この10年で広島にも沖縄にも行った。
僕のすべきことは十分わかっている。あとはするだけだってわかっている。

イエスもあなたも行って同じようにしろと言っている。

なのにどうしてこうも、自分だけが空振りしているような寂しさに襲われるのだろうか。

「そんなどうでもいいことよりも、働いたら?私だってやりたいこと我慢して働いてるんだから」
最近、僕の支援者に言われた言葉だ。僕のしていることはそんなにどうでもいいことなのだろうか。

もちろん、無賃だから金にはならない。

金にならないことは、働くことにくらべて無駄なのだろうか。

わからない。わからないことが多すぎる。

おとなしく池上彰の本でも読んで、来月から真面目にバイトするのが大学生として正当でまっとうな道だとは思う。

でも、仮にバイトを始めてファストフード店で他人を太らせることが僕の今やるべきことなのだろうか。
スーパーで添加物を売って、資本主義に加担することが僕の今やるべきことなのだろうか。
コンビニで自分では吸わないたばこの銘柄を覚えて売って不健康な人を増やすことが僕の今やるべきことなのだろうか。

もちろん、今働いている人を否定する意図はない。今僕はスーパードライを飲んでいるし、今日はMAXコーヒーをスーパーで買った。
働いてサプライチェーンを維持している人がいるおかげで僕は不自由なく働いている。
父親も働いているし、すでに体調の悪かった母親を無理やり働かせて買ってもらったものも多くある。

ああああ、ますます自分が嫌いになる。

なんで神様はこんな自分を生かしているんだろう。

本当にわからない。


「働かないとは悪いことか」で検索すると、みんな大好き西村博之のインタビュー記事が見つかった。
(ちなみに1%の努力は持っている。しかも珍しく積読ではない。)

まあ、ひろゆきは若いころ、不労収入を作ろうと思って人生を歩み、その通りになっている人だ。
その上、自分中心だ。イエス・キリストとは真逆の立場にいる人だ。

僕はひろゆきを全否定する立場でもなければ全肯定する立場でもない。
批判すべきところも多くあるし、学ぶべきところも多くある。

また、20世紀のテーマの一つであった公共性と親密性の二項対立、そこから脱却する思想を持っている一人でもあると思う。
(一人でもっていうのは、アプローチは違うが、奥田知志もその方向だし、見田宗介もその方向を探っていた一人だと思う。)


。。。風呂敷を広げすぎて話が拡散し始めたな。

でで、その9時のNHKのニュースで被団協のニュースのあと、元大阪地検検事正が性的暴行で訴えられた裁判のニュースがあった。
今日、Today re’Viewを残さねばと思ったのは、その被害者が会見している映像を見たからだ。
嗚咽を抑えながら必死に伝えようとしている姿は筆舌に尽くしがたい。

かくいう僕も今年、セクハラに近い状況に遭った。

同世代の仲間と夜、アルコールの入った後にカラオケに行こうという話になった。その中に明らかに同世代ではない方がおられた。とある曲をその方が歌われるときに、その曲がわかるのが同性代の中で僕だけだったので一緒に前に出て歌った。

サビに入ったとき、抱きつかれて相手の下腹部を僕の背中側に押し当てられた。

その時は抵抗しなかった。場の空気を壊すと思ったからだ。でも、年下の女の子がその場にいたが、彼女の目をほかの人が覆い隠していた。

ああ、なんかニュースの女性検事の気持ちが、種類も重さも違うだろうが、よくわかった。

でも、そのカラオケの事を僕はあんまり相談していない。
カラオケの翌日に、まったく別の同世代の知り合いに相談したが「それは無礼講だよ」と言われた。

そもそも僕だって性加害の経験がないわけではない。
僕が性被害を主張する資格はないし、相手や場に合わせた人を裁く権利はない。

ただ、誤解のないように言っておくが、性被害を受けた人はどんな些細なことでも相談してほしい。できれば専門知識を持った信頼できる人にだ。


そろそろ、締めようか。

今年知ったことの一つに、被団協の正式名称のことがある。

被団協の正式名称は「日本原水爆被害者団体協議会」だ。
てっきり最近まで、”被ばく者団体協議会”だと思っていた。

なんでかは、直接関わる人がいたら聞いてみたいところだが、僕が思うに被ばく者に限定されない被害者がいるのではないか、という考えのもとだと思う。

先日、子ども劇場の会員と日本の被害性(無差別爆撃・沖縄戦・ヒロシマ・ナガサキ)と加害性(アジアへの進駐・民族差別・戦後賠償)の両方を思考の俎上(そじょう)に乗せなければ、本当の意味での”平和”は語れないのではないかと話した。

その会員は731部隊について教えてくれた。調べてみようと思う。

僕はこの記事を書いたら自分のす”べき”ことがわかるかな、と思ったが、なおさらわからなくなった。

今日は少しゲームして寝ようと思う。明日も教会で仕事だ。
僕はまだすべきことがたくさんある。

まだまだ死ねない。

2024/12/11 人生の中の一日の夜。

カテゴリー
Essey Society

『あの夏の絵ー他者性の必要性』 – 2024/12/4


私は「北九州子ども劇場」というNPO法人の会員だ。
子ども劇場(地域によっては親子劇場と呼ばれるらしい)は、会費を支払らい定期的に会で劇団・音楽グループ・芸能グループなどを呼び、舞台鑑賞会(通称・例会)をする団体だ。

戦後の福岡市の貝塚団地で発祥し、今や全国に存在している、いわば、”文化芸術の協同組合”だ。

今回の記事はその子ども劇場の12月例会で観た、青年劇場の「あの夏の絵」という作品について書き残しておこうと思う。

とりあえず青年劇場のHPから、あらすじをコピペ。

広島市にある私立海陵学園高等部。
美術部員のメグミは祖父母が入市被爆をしている被爆三世。顧問の岡田が持ち込んだ「被爆証言を聞いて絵に描く」取り組みに、迷いながらも参加することを決める。
東京から引っ越してきた同じ美術部員のナナは友達よりも絵を描くことが大好きで、漫研と兼部しているアツトが気に入らない。
岡田の提案で被爆証言は三人で聞くことになり、証言者・白井の話を聞いて心を突き動かされる三人だが、ある日ナナが学校に来なくなって…。

青年劇場「あの夏の絵」HPより

このお芝居は、広島平和記念資料館の「次世代と描く原爆の絵」事業に参加している、広島市立基町高等学校の創造表現コース有志生徒たちをモデルとしている。
「次世代と描く原爆の絵」事業について

以前のToday’s reViewで広島に滞在している、と書いていたがこれは、今回の例会の事前学習として子ども劇場が企画したものだった。
(こういう例会の事前事後の取り組みにも積極的にやるのが子ども劇場のいいところだと思っている。)

reViewでも書いたとおり、この時、基町高校の高校生と交流した。
彼女たちから聞いたのは、原爆の現実と対峙することを”日常化”する生活だった。

しかし、彼女たちはそれを強いられたのではない。望んで対峙することを選んだのだ。
余暇で平和のことを考えているのではない。しかも、被ばくした当事者とも対峙している。生身の人間を巻き込んで創作にあたっている。逃げ出すことは簡単にはできない。

実際、私は(逆に)余暇はどうしているのかを僭越ながら質問させてもらった。

「余暇はなかった」
1人はそう答えた。そうだろう。土日も削り制作にあったている。平日は授業があり、放課後はやはり制作だ。
寝ていても夢に8月6日の広島の光景が出てくる時もあるだろう。休みも遊びも、あったとしても彼女たちの”日常”には意味をなさないかもしれない。

「本を読む」
そう答えた生徒もいた。本を読むことで自分と他者(この場合は本の著者や作者)を相対化し、自分のやっていることに妥当性を見出そうとしているのかもしれない。
「自分は絵が描ける」のだと。

「政治の選択肢を提示する」ことを目的というか、原動力として考えている生徒もいた。
平和を選べるように広島の現実を絵で示すのだと。
彼女は私の妹と同じ、17歳だった。
彼女はとても信念に燃えていた。若さゆえのその炎だと思うが、私はそれに一番共感した。

10代のころに灯った炎は当分燃え続ける。
少なくとも私はまだ燃えている。

そういう意味でも青年劇場がこの題材を取り上げた意味は大いにあったと思う。
青年劇場は「青いドクドク感」を描くには、日本で第1級の技術を持っていると思う。
商業演劇の劇団でも太刀打ちできないぐらいにだ。

今回の「あの夏の絵」の登場人物は次の通りだ。

主人公の”メグミ”は被爆三世だ。だが、祖父母から8月6日の話を聞いたことがない。
祖父が死んだとき、そのことを聞いていなかったことを悔やんでいる。

同じ、美術部員の”ナナ”は東京からの転校生で原爆についてほとんど知らない。物語が始まるまで原爆を落としたのはヒトラーだと思っていたようだ。

もう一人の美術部員のアツトは父が自衛官だ。
2015年に成立した安保法制で父が戦地に行かされるかもと心配している。

被爆者で証言者の”白井”は8月6日8時15分は広島市外にいた。その後、広島市内に戻ったたため、入市被ばく者だ。

その他にも、メグミの祖母で被ばく者の”おばあちゃん”や美術部顧問の”岡田先生”が登場する。

この作品のテーマはずばり、

「こんなにも知らなかった
ということを初めて知った」

ソクラテス大先生にあやかれば、「無知の知」という言葉が出てくるかもしれない。

「汝、知らんとすることを知る」

だからやっぱり、ここでも他者性が必要なのだ。
今回の作品で言えば、世代も受けてきた体験も全然違う、被ばく者と非被ばく者の高校生が、全人格的に対峙する。

知らないということに対しては、知るでしか根本的な解決はできない。(知らないことを否定している訳ではないが)

自分の知らないことは他者から聞く・教わるしかない。
そこに<異化(驚き)>と<同化(共感)>が生まれ、他者を内面化(自分の心に住まわせる)していくのだ。

もう一つ言うと、原爆の絵に携わる彼ら彼女らは、絵を描く理由を外部に持った。

私も作詞作曲するのでよくわかるが(わかった気になって困るが)、創作する理由を自分の内部に持つと、自分が崩れたときにその理由も一緒に崩れる。
創作”したい”では、”したくない”や”飽き”がくる。
しかし、創作”すべき”やこの人のために”する”であれば、少なくとも”したい”よりかは、理由が崩れにくい。

だから実際、基町高校では途中で原爆の絵を描くことをやめた生徒は、事業が始まって以来、一人もいないそうだ。

そろそろ、締めようか。

やっぱり、希望は一人では生まれないと思う。
人間同士が全人格的に重なり合った先に、面となった未来が綿々と続くのだと思う。

2024/12/04 そろそろお腹がすいたころ。

カテゴリー
Essey Society

note更新– 2024/11/13

#希望のまちをあきらめない

希望のまちについて思いのたけを綴りました。
ぜひ見てください。

2024/11/13 おなかのすいた昼下がり。

カテゴリー
Essey

The wide world view – 開設宣言

僕の一種の社会への抵抗

「文字を書け・汗をかけ・恥をかけ」

僕の尊敬する人が教えてくれた若いころにしておくことです。

僕は僕がこの世にいた証明がしたい。
よく僕は、「君って抜きん出たいと思ってるよね」とか「向上心があるよね」とか言われる。
そう、僕の周りのような、大きな大人になりたい。

その練習の一つとして、この僕の”広い世界観 – The wide world view”をこのサイトで伝えていく。