最近、気になっている思想家が2人いる。いや、2人とは言わず結構いる。
でも、まあ今日は2人にしておこう。
誰かというと、ディートリッヒ・ボンヘッファーとヴァルター・ベンヤミンだ。
ボンヘッファーはナチス・ドイツ期に生きた、神学者・牧師で最終的にはヒトラー暗殺計画に加担し、ナチスの強制収容所で生涯を終えた。
ベンヤミンも同時期の哲学者・文芸批評家でユダヤ人家庭に生まれる。しかしその後、亡命に失敗し、ピレネー山脈の山小屋で自ら命を絶ち、生涯を終えた。
生前、2人が交わったかどうかはまだ私は調べられていない。けれども、(というか2人が有名だからか)彼らがどういう思いでこの世を去ったのか、タイトル通り、「死の床についた時、世界はどう見えていたか」が気になる。
ベンヤミンはこういう言葉を残している。
夜の中を歩みとおすとき助けになるのは、橋でも翼でもない、友の足音だ、ということを、私は身にしみて経験している。私たちは夜のただ中にいる。夜に抗して闘う者は、夜のもっとも深い闇を動かさなければならない、まさに夜そのものの光を手渡すために。
だけれども、ベンヤミンがモルヒネを手に取ったとき、”友の足音”は聞こえなかったのだろうか。
最新の研究では自殺説も否定されているが、その真偽や是非をこの記事では問いたいのではない。
なんであれ、ボンヘッファーもベンヤミンも、その他無名の人々があの時代、20世紀という「戦争の時代」に殺されたのだ。
ボンヘッファーも、キリスト教的には本来犯してはならない、「他殺」を犯してでも、ヒトラーの独裁を止めようとした。
その矛盾は今でも考えさせられる。
多分、彼らが殺されたころは寒かったのだろう。
今日の北九州と同じぐらい。
だから、気になる。
どう、彼らが希望を抱き、最後まで筆を止めなかったのか。
、、、なんか書いてて適当なこと言えないなと思った。
でも、勉強する動機がまた増えた。
2025/01/18 金曜と土曜の境を過ぎたころ。