今日は「クリスチャンになる理由」を問われた。
僕は「義務感」と答えたが、数時間たった今「使命感」「召命感」みたいなものだった気がする。
ルカ福音書2章ではイエスの降誕の場面でイエスの福音は、”すべての民”に与えれれたものとされている。
だから、クリスチャンになろうがなるまいがイエスは必要だし、十字架は必要だし、贖いは必要だと思う。
だが、そうなるとバプテスマは必要ないのだろうか?
だが、バプテスマは決心だと思う。特に東八幡教会のバプテスマは世界の一番低みに身を置き続ける決心であると思う。
この上記のアンダーラインのところが重要で、もし世界中の人々がこうなったら多分戦争はなくなる。
そのために福音伝道が必要で、その自覚の一つの表し方がバプテスマなのだと思う。
答えは無いが。
そういえば、去年の夏も似たようなことを言われた。
「万民救済だったら教会いらないじゃん」
いやいや、万民救済に気づいていない人がいるから伝道する。そのための体として教会があるんでしょ。と、今なら返せる気がする。
くどいが「救わている真実に気づいた人は、救われている真実を伝える人になれる」
これが、僕の福音伝道の意義であると思う。
2024/08/18 日付をまたぐ50分前の夜。