今日は原爆の絵を描いているという高校生と出会った。
被爆者から証言を聞き、それを基に絵を描くという取り組みをしている。
そんな彼女らから今日は貴重すぎる話が聞けた。
どういう話を聞いたかは僕に直接聞いてもらうとして、やはり彼女らも出会いによってその道が与えられ、筆をとったことが分かった。
出会いによって過去の意味付けが変わっていく。
特にいい方向に行けば、それは希望になる。
今日の出会いによって僕はそう感じた。
原爆ドームにも立ち寄る時間があった。
10年ぶりに訪れる原爆ドームは、大きくなった僕にはすこし小さく見えた。
英語で外国人に証言をしている被爆者(surviverと書いてあったので)もいた。
お互いに一生懸命、語り、聞いている姿にも僕は希望を感じた。
みんなが、傷ついた人々に耳を傾ければ世界はやさしくなるはずだ。
前の記事で書きそびれたが昨日、平和記念資料館を離れるとき、しゃがんで話し込んでいる3-4歳ぐらいの男の子と両親らしき3人組がいた。
何を話していたかは知らない。だが、20分ぐらいは話していた様子だった。
ああいう、大切にされた経験が平和を創り出す原動力だと思う。
くどいかもだが、”愛された人は、愛する人になれる”
僕は何度も愚直にそう言い続ける。
いい旅だった。
2024/08/26 瞼が重い、旅で疲れた夜。