<ソーシャルサーヴァント>宣言 – 十歩前
このところ、WWVの更新が落ちているのは僕が世の中に何かを言う資格があるのかが、わからなくなってきたからです。
自信がなくなっちゃった。
でも、まあ僕は僕のために、SYNHALが社会と接続し、社会的な存在であると自覚するためにもこの記事は書きます。
僕は最近、1日がものすっごく短く感じる。やりたいことが多すぎて、やらなければならないことが多すぎて。
1日が充実してないと夜、ものすごい不安感に襲われる。
「僕は社会のために生きなければならない」「僕のあらゆるリソースは社会に還元されなければならない」
この思いは中学生ぐらいから、NスぺやE特を見るたびに思った。
「社会の不正義を放置し、見ないふりをする選択肢は僕にはない」
「社会のために僕は死にたい」(殉社?)
「僕はみんなを幸せにしないといけない」
友達にも心配されたが、今の僕は「べき論」で動き過ぎている気がする。
もちろん、それも自覚的なので、置物と化していたベースの弦を島村楽器で換えてもらい、毎日弾いている。
僕は無力すぎる。
仮に、今大好きな人が1万円で救えたとしても、その1万円すらも持ち合わせていない。
目には見えない透明な”社会”なるけったいな存在が平気で今も僕の大好きな人たちを傷つけている。
何が「社会学徒」だ。
”社会”の悪を的確に捉え、そこの不正義を正していく。僕はこのことに本気になりたいし、命を懸けたい。
で、なければ僕は生きる意味が一切無い。
僕に社会課題への無関心や、政治への無関心を語る人は注意してほしい。
多分、それは僕の”生きる理由”に直結する事柄だ。
あと、今の世の中で「自己責任」はほとんどない。
特に教育や発達に関し、この国の社会はまったく責任を果たしていない。
戦後80年であらゆるものが変化していて、教えるべき内容も倍どころではないはずなのに、義務教育を9年の制度設計にしてあるのは非常に無責任だ。
大人が責任をまったく果たしていないのに、若者に「自己責任」をしたり顔で語るのは不道徳極まりないと思う。
若者を平気で使い捨てる大人は必ず歴史が裁くはずだ。
今日の記事は何が言いたいかっていうと、僕はもう1人では社会と戦う力も勇気も湧いてこない。
今、僕を動かしているのは単に「べき論」だ。義務感と使命感だけで生きており、内実はボロボロだということを僕の関係者は知っていて欲しい。
それでも、僕は”社会”の不正義を命懸けで正す。刺し違えてでも”社会”の悪というリヴァイアサン的なものを討つ。
一緒に社会悪ハンティングをやってくれる人がいるのであれば、いつでも連絡が欲しい。
contact☆synhal.com(☆→@)でもいいし、インスタやXのDMでもいい。
僕はこの記事に共感してくれた君と社会を変えたい。
2025/07/31 – 昨日までの食器を洗い終えた後の昼前。