信仰が「脅かされる」恐怖
世界中の信仰者(キリスト教に限らず)に聞いてみたい。
どれだけ自らの信仰に自信があるかと。
僕はそんなにない。
神様に会った事とかないし、夢に出てきたとか声が聞こえたとかもない。
信仰は目には見えない。また容易に脅かされる。
信仰に限らず、自分が信じるものというのは、いつでも崩れうる。
また、逆もある気がする。
信仰とか自信とかは鋭利だと思う。容易に他者を攻撃する。
僕は自信がある人が苦手だ。
自らの中に揺るぎないものを持っている人が揺るぎない言葉を発するとき、それが僕にとって共感できれば安心するし、共感できなければ不安になる。怖くなる。脅かされている気がする。
自信のある言葉に対する恐怖、(その人にとって)正しいと思っている言葉を浴びる恐怖、正論に対する恐怖。
これを抱き始めたのは僕が思春期に入り始めたころだったと思う。
10年以上は正論が、自信のある言葉が怖い。
「正論みたいなものにクリティカルに返すにはどうしたらいいですか?」
こういう質問をとあるイベントで出会った、有名な哲学を研究されている方にぶつけてみたところ、こう答えてくれた。
「その正論に”暴力”がうかがえる場合、その推論のステップをさかのぼって反証するといいのではないか」
この時から僕の勉強する理由に、「”暴力”のある言葉に対抗するため」が加えられた。
今回は書いてる過程で話が流転してしまったが、もう眠いので寝る。
明日も僕に成長が与えられますように。
2025/03/15 – 日付が変わり、だいぶたった後。