「僕は誰と生きていくべきだろうか」の中間報告。

今年の裏テーマに「僕は誰と生きていくべきだろうか」というのがある。
僕の所属を振り返ってみる。

  • 家族

  • 友人関係

  • 教会

  • ボランティア①(社会教育関係)

  • ボランティア②(社会福祉関係)

  • ZEN大学

  • 社会学の自主ゼミ

  • ゆる哲学ラジオ サポーターズコミュニティ

  • 放送大学

考えただけでもこれだけある。
これらは僕が望んで求めた所属である。この中で傷つき、喜び、悲しみ、怒り、そして笑っている。
一応、これが僕の現実だ。割と満足だ。

一方、これで満足していない自分もいる。僕の満足は僕だけが満足している、ということをふとした時に感じてしまう。
満足を含めた感情を共有する相手をずっと求めている。

結構僕は理解されないがちな人間だ。趣向が偏っているのだからそれも頷けるし、社会的なコミュニケーションの特性から感情を伝えるのが苦手な部分も少なくない。

一人暮らしが始まった頃、こうアドバイスを受けた。
「君の楽しみが、周りの人の楽しみにもなればいいね」

明日から大学は後半戦に入る。4月が誕生日の僕は22歳の後半も始まるし、年度の後半も始まる。

「僕は誰と生きていくべきだろうか」という問いを、もう一度整理しておこうと思って、この記事を書いた。

未完成の僕は、明日も生きるだろう。

2025/09/30 – まだ日付を跨ぐには余裕のある夜。

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Posted by SYNHAL